世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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日本全国の宗像神社・関連スポット

    件名 本木若宮(八幡宮)(もとぎわかみや)
    種別 神社
    所在地 福岡県福津市本木1213-1
    概要 当社ハ宗像七十五社ノ其一ニシテ、此村ノ氏神ナリ。宗像末社ニ本木若宮ト有ハ、則此社ナリ。一説ニ鞍手郡若宮八幡宮ヲ勧請ト云フ。七十五社ハ往古ヨリ鎮座ニシテ、年中六度祭典厳重ナリシカ、今ハ村民共、形計ノ祭祀ス。明治五年十一月三日村社ニ被定。例祭九月廿八日。
    境内神社一社 須賀神社(素戔嗚命)由緒不詳。
    〔宗像神社史〕四十八 本木若宮(八幡宮)大字本木字大浦
    御縁起に百八社の一つとして「本木若宮」と見え、正平年中行事に七十五社の一つとして「本木若宮」と、同神事の條に「本木社若宮明神二社、内宗像社一方、生松明神一方」とある本木若宮明神がこれで、宗像社の若宮であること、これによって明らかである。その神事は「正月朔日神事、同正月歩射、三月三日神事、五月五日神事、九月九日神事、八月十三日神事御幸音出」とある。
    吉野期神事目録、九月御九日祭の條に、「本木若宮七社、廿八日」とある。延宝末社帳には「本木若宮 八幡大神」といひ、続風土記本木村の條には、「八幡宮あり。佳社也。」とあり、同付録同村の條には、「八幡宮ヲゝウラ、神殿四尺間三間社、拝殿二間・三間、祭礼九月廿八日、石鳥居一基、奉祀中津内膳。村の西北三町計、山の半腹にあり。産神なり。祭る所、譽田天皇・神功皇后・武内大臣也。」とある。同拾遺には同村の條にある若宮社をもって、「宗像七十五社の其一也。」とする。
    明細帳には、上西郷村大字本木字大浦鎮座の八幡宮(村社)をこれとする。現今、例祭、十月十七日。社殿、本殿(流造)・拝殿・渡殿。境内、三三四坪余。氏子一三二戸である。
    〔筑前続風土記附録〕八幡宮ヲゝウラ 神殿四尺三間社、拝殿二間三間、祭礼九月廿八日、石鳥居一基、奉祀中津内膳。
    村の西北三町計、山の半腹に有。産神なり。祭る所譽田天皇・神功皇后・武内大臣也。鎮座の年歴伝ふる事なし。社内に祇園者、薬師堂あり。境内林中に大石一個、高ニ尺周五尺あり。皇后の御腰懸石といふ。神田八畝二歩有。字をジンデといふ。
    〔筑前続風土記拾遺〕若宮社
    宗像七十五社の其一にて、当村の産神也。宗像末社記に本木、若宮社、同老松社とみへ、又本木若宮明神二社内、宗像社一方、生松明神一方、正月朔日神事、八月十三日神事御幸御出なと有。宗像神の若宮なるへし。老松(上に生松とあるは誤りなるべし。)明神は、相殿に坐には、此社今は若八幡と称す。畝町より鞍手郡山口に行く道の側に在。(祭神譽田天皇・神功皇后・武内大臣とす。されど上にいへる社記にしたがうべし。)祭日九月廿八日也。祀史王丸村中村津氏奉祀す。社内に祇園社、薬師堂、及巨石有。(俗神功皇后御腰掛石といふ。)
    現況 福間町より鞍手郡にぬける県道添にある。本木の集落入口近くである。左側に第一鳥居、手前に須賀神社(境内社)の石鳥居が並んで建っている。境内は往古を悌ばせるしずけさを持つ美しい樹木の中にある。清掃され、手水舎の水も清かった。夏越祭のあとであった、まだ茅輪が残っていた。本殿右側に、地元皆が「天満神社」と呼ぶ「老松若宮」が鎮座されていた。
    旧社格 旧村社
    祭神 譽田天皇・神功皇后・武内大臣
    時期
    特記事項
    出典・参考文献・HP
    関係論文1
    関係論文2
    関係論文3