世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

文字サイズ 標準 特大
背景色

日本全国の宗像神社・関連スポット

    件名 池浦山王社(いけうらさんのうしゃ)
    種別 神社
    所在地 福岡県宗像市池浦632
    概要 不詳。例祭9月9日、4月2日。明治34年8月30日村社ニ昇格。昭和13年5月4日神社名変更許可。明治41年1月19日神饌幣帛料供進指定済
    境内神社4社
    天神社(天御中主命、高皇産霊命、火々出見命、仲哀天皇、姫蹈鞴姫命、建御名方命、猿田彦命、澳津彦命、澳津姫命、下照姫命、葺不合命、盬土老翁経津御霊神)由緒不詳、例祭4月2日、9月9日
    穀祖神社(保食命)由緒不詳。例祭2月13日、9月13日
    八幡神社(応神天皇)由緒不詳。字高田より移転
    須賀神社(須佐能男命)由緒不詳。壱友症より移転

    【宗像神社史】
    御縁起に108社の一つとして「池浦山王」と見え、正平年中行事に75社の一つとして「池浦山王社」とあり、また同山王社神事の條に「正月朔日元節供神事、七ヶ日御供備進之、三月三日節供神事、五月五日節供神事、七月七日七夕神事、九月九日節供神事、四季御神楽神事四度、二季彼岸二七ヶ日御供備進之、一年中毎月朔幣・望祭神事二四度」とある。同條に「日吉明神、春神事、夏神事、秋神事」とある日吉明神は当社と並べられてゐるので同一社とは思われないが、参考のために附記する。
    吉野期神事目録には、「池浦山王七社、朔日、一五日、正月中五十六社、五節供」とある。延宝末社帳には、「池浦山王田禮村ノ内に在り大三輪社大己貴命」とし、続風土記の太禮村の條に「瀧の口と云所に高さ、貮間許の瀑布あり。山王権現の社あり。枝村の内、池浦の産神也。祭礼9月9日也」といひ、同附録同村の條に「日吉社フルヤシキ、神殿方三尺、拝殿二間・三間、祭礼9月9日、石鳥居一基、奉祀小方左門。池の浦にあり。産神也。本編には山王とあり。二一社を祭る。社説に康正2年(1456)近江国滋賀郡比叡山より勧請すといふ。」とし、同拾遺同村の條に「山王神社、枝郷池の浦の産神也。日吉二十一社を祀る。宗像百八神の其一也」とある。明細帳には、河東村大字池浦字鐘崎道鎮座の池浦山王神社をもってこれとする。現今、例祭は10月9日。境内1091坪余。氏子は43戸である。
    現況=宗像市と玄海町の給水源である多禮ダムの奥地に鎮座地がある。ダム左側を登ると、玄海町多禮と宗像市ひかりが丘団地の境に至る。ここより小道を下ると左側に古い鳥居(老朽化して危険)が目に入る。この森が山王神社鎮守の森である。神社の右側に道路ありこれを超えて玄海町原区に出る。この峠が往古より使用された河東村、多禮村から鐘崎へ出る街道であったのであろう。故に字名を「鐘崎道」と云う。今は人家も無い山中の社であるが、この社から池浦と呼ばれた地名が伺へる。山中に「沖ノ谷池」「鐘崎堤池」などの農耕用水を始め昔は飲料水に使用された池が多い。往昔から水と関係深き地の池浦、多禮地名が示す通り、現在でも市郡内一番の水がめ「多禮ダム」がある。この「ダム」の奥地に当たる山王神社から原区に出る峠の途中に今、「産業廃棄物処理場が建築される予定である。大変なことになる。神域をケガス事の恐ろしさを身に感じる。
    旧社格
    祭神 国常立命、国挾槌命、惶根命、吾勝命、瓊瓊杵命、大己貴命、菊理姫命
    時期
    特記事項
    出典・参考文献・HP
    関係論文1
    関係論文2
    関係論文3