世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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日本全国の宗像神社・関連スポット

    件名 的原神社(まとはらじんじゃ)
    種別 神社
    所在地 福岡県福津市八並1020
    概要 当社は宗像大社摂社であり宗像75社の一也。旧記に大己貴命、更娶田心姫命、湍津姫命為妃、鎮座此山北嶺、干時伊弊朋命、速玉男、亊解男三神、為三鷹、白東飛来、止此峯、三鷹変作石像、頭身足翅、皆備如眞見在、大己貴命譲此峯於三神、自率田心姫、湍津姫二妃、降居山腹、爾後三女神移宗像宮、大己貴命遷許斐山とあり。当社を言ふなるべし。明治10年丑5月宗像神社摂社トナル。明治5年11月3日村社ニ定メラル。例祭9月11日。
    1.境内神社5社
    今宮社・由緒不詳
    須賀神社・由緒不詳 本社は大字八並字田ノ浦に在りしを昭和9年1月10日許可を得て合併。
    厳島神社・由緒不詳 本社は大字八並字山ノ後に祭祀ありしを昭和9年1月11日許可を得て合併。
    貴布祢神社・由緒不詳 本社は大字八並字山ノ後に祭祀ありしを昭和9年1月11日許可を得て合併。
    天満神社・由緒不詳 本社は大字八並字吉原に祭祀ありしを昭和9年1月11日許可を得て合併。
    {筑前続風土記附録}的原大明神社=奉祀小方掃部。
    山中といふ所の中マトハラに有。産神也。祭神、大己貴命、味祖高彦根命、下照姫命、諏訪大明神、小木大明神也。鎮座の年歴伝ふる事なし。社説に昔許斐山乃城主、此所にて射術をならひしといて。又、イバガモト(射場が本)といふ小字もあり。かかる故に的原の社号ありといふ。八並とは、小木大明神の御弟に大母漏隅命といふ神あり。是矢集連の祖也。大母漏隅命も小木命にしたがひ、此処に住給へり。(今、モリといふ処あり。母漏の転語也とぞ。森の社あり。大母漏隈命を祭る。)村の名をも矢集といひしが、後に八並といへりとあり。
    {筑前続風土記拾遺}的原大明神
    社説に此社に宇麻志麻治命八世孫大小木命をも合せ祭りて、都て4神也と云。縁起に旧事記に大小木命の御弟に、大母漏隅命有。此神は矢集連の祖也とあれば、大母漏隅命は大小木命に従ひて、此地に住給ひし故、村の名をば矢集といひたりしを、後に八並といひならはしたるなるべしとあり。
    現況=10月12日の例祭には現在も宗像大社より幣帛が捧げられている。摂社の一つとして、当社との関連は、神社史に次の様に記されている。的原神社が許斐の小神でありながら、独立して本社(宗像大社)の摂社とされたのは、祭祀上他の許斐の春属小神とは別格に取り扱はれて来た由緒によるといへよう。と。この由緒とは祭神の宗像神との関係を意味するものと、思われるが、風土記附録・又拾遺にある様に、古来より宗像神社とは特別の関係にあった。又、許斐城主との関連からも、宗像一族には大切な神社であり、代子の八並(矢集連)代族の祖神でもあった祭神との深い関連が現在まで受けつがれている事は、大変重要な意味があり、日本人の集団代族と代神祖神の関連を知る上に大切な歴史を語る姿と云う事が出来る。鎮守様、鎮守の森、代神様、今神道に携わる者が一番知らなければならない神と代子の関係が生きている大切な「神社と八並」と云う姿が、ここにある様な気持がした。国道3号線より福間、八並道に入ると、左側に石段が見える。境内は正に矢場の面影をのこす長い参道正面に拝殿、本殿が鎮まっている。
    旧社格
    祭神 大己貴命・味祖高彦根命・下照姫命 ※旧事本紀によると、大己貴命が宗像奥津島の神なる思姫を娶って、味祖高彦根命と下照姫命とを生み給うたとあるにちなんで、これを祀ったところである。(神社史)
    時期
    特記事項
    出典・参考文献・HP
    関係論文1
    関係論文2
    関係論文3