世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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日本全国の宗像神社・関連スポット

    件名 織幡神社(おりはたじんじゃ)
    種別 神社
    所在地 福岡県宗像市鐘崎224
    概要 鎮座年月不詳。文徳実録日、嘉祥3年7月甲辰授筑前国織機神従5位下。(此年8月散位従5位下高原王
    向豊前筑前宝剱明鏡ヲ諸社に奉ラル。此時織機神ニ授位の官幣アリト云。其明鏡三面而干今存ス。
    又一説ニ云、此明鏡ハ神功皇后三韓征伐ノ時、韓王ヨリ奉献シタルヲ、後ニ当社ヘ納メ給ヘトナリ。
    三代実録日、貞観元年正月廿7日甲申京畿七道諸神進階、筑前国従5位下織幡神授従5位上、
    2月丁亥朔、遺使5畿7道班幣諸神、告以即位之由。
    同書日、元慶元年12月15日辛巳授筑前国従5位上織幡神正5位下。
    延喜式神名帳日、筑前国宗像郡織幡神社1座明神大文永2年8月9日官符日、織幡大明神在鐘崎云々、武内大臣之霊神也云々。
    社記日、当社草創云々。履中天皇年中武内大臣比岬ニ至リ給ヒテ、全身上天アリシ所ヲ、和魂ノ表トシテ、是ヲ沓塚ト名ツケヤリテ、其霊地ニ荒魂ノ表ヲ立テ、織幡神社ト号シテ、壹岐直眞根子臣ノ子孫ノ人ツタヘテ是ヲ祭ル云々。
    同書日、当社、武内大臣ノ神変カニテ、異敵退散ノメテタキ旗ヲ織給ヘハトテ、代々ノ帝モ尊崇アリテ、織幡ノ神社ト号シ云々。毎年11月中ノ卯ノ日ニハ、新嘗会ノ手向アリテ、他ニ異ナリシ叡慮ナリキ、是併我朝守護ノ霊神ト云。異国従伐ノ神功アルニ報シテナリ云々。壹岐ノ直眞根子ト云人云々。神トアラハレテ、壹岐ノ明神ト号シ奉リ云々。神社ノ相殿ニ祭ル云々。
    宗像宮古縁起日、金崎織幡云々、本地如意輪観音、垂跡者、武内大臣之霊神也云々。神功皇后3韓征伐之時、織赤白ニ流之旗、被付当神宗大臣之御手長、故神明垂跡之時、得織旗之名字也、為異賊襲来海路於守護鎖居海浜云々。往古ノ社領ハ、葛原谷八町ナリシ由言伝フ。明治2年5月藩主黒田家ヨリ為御供米、己来年々米10俵宛寄附ス。
    明治3年12月福岡藩庁ヨリ従来ノ寄附廃止、更ニ永世35石寄附ス。
    明治5年11月3日村社ニ定メラル。同10年3月国弊中社宗像神社摂社ニ列セラレ、同15年8月24日郷社ニ列セラレ、昭和3年8月6日県社ニ列セラル。例祭4月16日、10月9日神幸10日。
    宗像神社史=古くは宗像郡内での武内社は、宗像神社と当社との2社であった。宗像神社についで、朝廷の尊崇の篤かったことが知られる。文永9年(1272)9月3日の宗像大神宮神宮官僧宮御燈衆等起請文には「織幡大明神」と「許斐権現」との2社名が見え、建式元年(1334)3月24日雑訴決断所牒には「織幡・許斐・孔大寺権現」の3社が見えている。御縁起には宗像3神に織幡大明神と許斐権現とを加へてこれを宗像5社とといひ、常にその筆頭は当社である。
    現在の神社明細帳によると大正14年9月12日に神饌幣帛料供進神社に指定され、例祭は4月16日・10月9日、神幸10日。社殿は明治24年改築。神殿流造、横3間3尺、入3間3尺。渡殿横2間、入壹間3尺。拝殿は横3間、入4間。とあるが、昭和48年改修の時拝殿はコンクリート建造物に変られている。老朽化と白アリ害による、と聞いた。又、平成8年には本殿御屋根葺替工事が行われている。
    1.境内神社10社
    須賀神社・御崎神社・稲葉神社・白峯神社・海原神社・恵比須神社・今宮神社・高殿神社・根岳神社・直日神社、各社の由緒は不詳である。
    現況=筑前国続風記に、鐘崎の民家を去る事5町ばかり辰の方に在。此山丸くて何方より向ひても背面なし。林木茂れり。或説に、此山を小屋形と云。各所也。海上より見れば、其形屋形に似たり。故に名付と云。三方は海なり。一方は外地につづく。山の形うるはしく、恰も玉の盤上に在が如し。山の傍に神廟有。・・・・・と記されている通り、今も変らない。しかし境内近隣まで住居建ち入りて変ってきている。又境内も整備され参道、石段も立派である。この鐘崎港は、福岡県一番の漁獲高を誇る漁港でもある。毎月開かれる朝市には、早朝より新鮮な魚貝を求める人々で賑う。また鐘崎漁船は遠く東シナ海迄漁場を持ち、フグ漁の水揚げも一番と聞く。この様な代子に守られ、厚い信仰のある織幡神社である。今後も鐘崎の人々に大切に守られ、その信仰は広く全国に崇敬者を広げるものと思はれる。毎年、石川県輪島の市杵島姫神社からも参拝団が正月に詣で来ている。
    旧社格
    祭神 武内大臣・志賀大神・住吉大神・天照大神・宗像大神・香椎大神・八幡大神・壹岐眞根子臣
    時期
    特記事項
    出典・参考文献・HP
    関係論文1
    関係論文2
    関係論文3