世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

文字サイズ 標準 特大
背景色

日本全国の宗像神社・関連スポット

    件名 室貴若宮(六嶽神社境内八幡神社)(むろきわかみや)
    種別 神社
    所在地 福岡県鞍手郡鞍手町室木893
    概要 『宗像神社史』御縁起百八社の一つとして「宰(サイ)貴(キノ)若宮」と見え、正平年中行事に七十五社の一つとして「室貴社」と、同神事の條には「室貴社、正月朔日神事、同月歩射神事、三月三日神事、七月七日神事、九月九日神事、五月五日神事、六月晦日和儺祓神事」とある。宗像社家文書総目録、建武元年(一三三四)三月二十日諸郷文書のうちに「鞍手郡室貴・宮田・鴨山」とあるので、この頃には室貴は宗像大宮司領となっていたことが知られる。
     次いで永禄九年(一五六六)の宗像郡室木村第二宮棟書(新撰宗像記)によると、応安七年(一三七四)八月足利義満が本社を建立し、さらに明応六年(一四九七)九月三日、大宮司興氏が再興棟上、同十一月十五日遷宮、のち永禄九年、大宮司氏貞が造替した由を記している。延宝末社帳には「宰貴若宮稚産霊日命」とある。御縁起に三神最初に室貴六嶽に降臨せられたという伝承にちなみ、今、六嶽神社(旧郷社)と称し、鞍手郡鞍手町大字室木に鎮座し、宗像三神を祀る。ただし「室貴若宮」と称するについていえば、同じ大字室木の小字若宮原に存する八幡神社(旧無各社)はそこの字命を若宮原と称していたことから推しても、これが若宮の旧社に当たるといえよう。この社は大正の初年、六嶽神社に合祀され(同社の右後方の石祠)址地には石常夜燈と石壇とを残している。
    (現況)宗像市から鞍手郡に入る猿田峠を越えて約五キロ走ると鞍手町一番の五交差点のある室木信号に出る。この信号から右折して室木小学校迄走ると同校横を走る新幹線ガードを抜けてすぐに右側に石鳥居を見る。ここから参道を山に向かって歩く。約七十段の石段を登ると「六嶽神社」前に出る。広い境内でしずか也。
    拝殿には「宗像三女神御降臨」の絵馬が掲げられている。本殿は立派な「神明造」である。左・右・裏に石祠が七・八基ある。
    手水舎横に「由緒板」が有り「宗像三女神の御降臨の地」の石碑も建っていた。
    『宗像神社史』御縁起百八社の一つとして「宰(サイ)貴(キノ)若宮」と見え、正平年中行事に七十五社の一つとして「室貴社」と、同神事の條には「室貴社、正月朔日神事、同月歩射神事、三月三日神事、七月七日神事、九月九日神事、五月五日神事、六月晦日和儺祓神事」とある。宗像社家文書総目録、建武元年(一三三四)三月二十日諸郷文書のうちに「鞍手郡室貴・宮田・鴨山」とあるので、この頃には室貴は宗像大宮司領となっていたことが知られる。
     次いで永禄九年(一五六六)の宗像郡室木村第二宮棟書(新撰宗像記)によると、応安七年(一三七四)八月足利義満が本社を建立し、さらに明応六年(一四九七)九月三日、大宮司興氏が再興棟上、同十一月十五日遷宮、のち永禄九年、大宮司氏貞が造替した由を記している。延宝末社帳には「宰貴若宮稚産霊日命」とある。御縁起に三神最初に室貴六嶽に降臨せられたという伝承にちなみ、今、六嶽神社(旧郷社)と称し、鞍手郡鞍手町大字室木に鎮座し、宗像三神を祀る。ただし「室貴若宮」と称するについていえば、同じ大字室木の小字若宮原に存する八幡神社(旧無各社)はそこの字命を若宮原と称していたことから推しても、これが若宮の旧社に当たるといえよう。この社は大正の初年、六嶽神社に合祀され(同社の右後方の石祠)址地には石常夜燈と石壇とを残している。
    (現況)宗像市から鞍手郡に入る猿田峠を越えて約五キロ走ると鞍手町一番の五交差点のある室木信号に出る。この信号から右折して室木小学校迄走ると同校横を走る新幹線ガードを抜けてすぐに右側に石鳥居を見る。ここから参道を山に向かって歩く。約七十段の石段を登ると「六嶽神社」前に出る。広い境内でしずか也。
    拝殿には「宗像三女神御降臨」の絵馬が掲げられている。本殿は立派な「神明造」である。左・右・裏に石祠が七・八基ある。
    手水舎横に「由緒板」が有り「宗像三女神の御降臨の地」の石碑も建っていた。
    旧社格
    祭神 宗像三女神(室貴六嶽に最初御降臨されたとの伝承あり)
    時期
    特記事項
    出典・参考文献・HP
    関係論文1
    関係論文2
    関係論文3