宗像地域の文化財
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大島の歴史<近世>島守の島 |
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島守の島 大島にポルトガル人が到来 島原の乱をうけ、江戸幕府が異国船への警戒を強めていた、寛永20年(1643)5月12日、津和瀬の海岸に異国船が到来しました。ポルトガル人のへイトロ (70歳)、アランス (51歳)、ジュセイノチア(40歳)、フランシスコカッソフラン (40歳)のバテレン(宣教師)4人のほか、イルマン(修道士) 1人、キリシタン(信徒)5人の計10人は、黒田藩の島守によって捕らえられ、島民に褒美が与えられました。また、ほぼ同じ頃、三浦洞窟にもヨハン神父が隠れ住んでいたと伝えられています。
青柳種信が見た大島 異国船の警戒のため、津和順や岩瀬に番所が設けられ、御嶽山山頂にも遠見番所が設置されました。沖ノ島にも見張役が派遣されましたが、沖ノ島に渡るためには大島で潔斎と潮待ちをする必要がありました。黒田藩士で学者の青柳橙信は、寛政6年(1794)に沖ノ島の見張り番となった時の体験を「誠津島防人日記」に書き残しています。 |
| 法量・規模・面積 |
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| 所蔵 |
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| 参考文献 |
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| 図録ページ |
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