世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 宗像宮鐘銘写(冊子本)/
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文書群名 宗像家文書
文書番号 42
文書名 宗像宮鐘銘写(冊子本)
和暦 天正十一年四月十七日
西暦 1583年 4月 17日
本文    宗像宮鐘之銘
南浮州扶桑朝西海路筑前国(朱、以下同じ)「」」
宗像第一大菩薩「」」
 奉掛新鋳鐘一口事「」」
 諸行無常 是生滅法「」」
 坐〔生イ〕滅滅已 □寂滅為楽〔矣イ〕「」」、鐘〔者イ〕転妙
 法輪之智用声時実桐〔相イ〕之密義也。「」」
―二鐘声遍□〔満イ〕法現界〔界、現〕当二世悉地滅乾〔成就イ〕〈矣〉。「」」
是併〔蒲イ〕牢・鯨魚因縁、聖衆降臨之〔梯イ〕橋、善根撃発之方便也。「」」因玆「」」
往昔大王推〔椎〕鐘、来〔求イ〕大法唱成道、当今願主鋳之、祈武運治国家。「」」
魚〔異イ〕三業重障随響消滅、自他求願応聞成満〈而已〉。「」」
 社務正三位中納言〔執印イ〕大宮司宗像朝臣氏貞「」」
右意趣者、大〔天イ〕長地久、御願円満、社家安全、「」」
祭礼□〔不イ〕退、社頭繁栄、諸人快楽、特者国中「」」
豊饒而大〔不イ〕聞兵革戦鼓奇〔音イ〕、遠近同啓、「」」
敵軍消除眉〔イ眉ナシ〕〈耳〉。「」」
天正拾一年〈癸未〉卯月十七日   〔敬白イ〕

   奉行 式部卿学頭秀賀
      兵部少輔藤原負〔貞イ〕勝

大工    長野壱岐守貞親
      安山隠岐守貞澄
〔前三イ〕 大田江左衛門尉喜就
〔後四イ〕 大田氏〔民部イ〕左衛門尉貞盛
      小工 七十人
黄葉一片合鋳鐘「」」  秀賀妻午歳
□〔同イ〕月廿八日供美〔養イ〕導師神宮寺門〔葉イ〕承海法印「」」

(折込図)
 宗像宮鐘図彙
 (図略)「龍頭ヨリ下四尺三寸」「龍頭一尺三寸」「サシ渡シ三尺六寸」「縁ノ厚サ五寸三歩」
読み下し    宗像宮鐘の銘
南浮州扶桑朝西海路筑前国
宗像第一大菩薩
 掛け奉る新鋳鐘一口の事
 諸行無常 是生滅法
 生滅滅已 寂滅為楽
鐘は転妙法輪の智用声時実相の密義なり。―二鐘声法界に遍満し、現当二世悉地成就す。是れ併しながら蒲牢・鯨魚の因縁、聖衆降臨の梯橋、善根撃発の方便なり。玆に因り往昔の大王の椎鐘は、大法を求め成道を唱へ、当今の願主はこれを鋳し、武運を祈り国家を治む。異に三業の重障は響に随ひ消滅し、自他の求願は聞に応じて成満するのみ。
 社務正三位中納言大宮司宗像朝臣氏貞
右意趣は、天長地久、御願円満、社家安全、祭礼不退、社頭繁栄、諸人快楽、特には国中豊饒にして、兵革戦鼓の音を聞かず、遠近同啓、敵軍消除するのみ。
天正拾一年〈癸未〉卯月十七日   敬白

   奉行 式部卿学頭(豊福)秀賀
      兵部少輔藤原貞勝

大工    長野壱岐守貞親
      安山隠岐守貞澄
前三    大田江左衛門尉喜就
後四    大田民部左衛門尉貞盛
      小工 七十人
黄葉一片合鋳鐘   秀賀妻午歳
同月廿八日供養導師神宮寺門葉承海法印

(折込図は省略)
大意 大宮司宗像氏貞、当社辺津宮に鐘を新鋳する。
紙質 楮紙
寸法(縦) 24.5cm
寸法(横) 17.1cm
備考 対校は「新撰宗像記考証」によるもの。この鐘は現存しない。 原本、「〔後四イ〕」の部分に「祭□」という本文を記すが、これは前の頁の文字が破れた部分から見えているものなので(写真参照)、削除した。 折込図の図についても、原本参照。
出典 『宗像大社文書』第2巻